大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

大阪高等裁判所 昭和54年(ネ)2173号 判決

控訴人 桝田哲雄

右訴訟代理人弁護士 片山俊一

被控訴人 安田弘子

右訴訟代理人弁護士 吉野庄三

同 金子利夫

主文

一、本件控訴を棄却する。

二、控訴費用は控訴人の負担とする。

事実

第一、当事者の申立て

一、控訴人

(控訴の趣旨)

(一) 原判決および本件手形判決を取消す。

(二) 被控訴人は控訴人に対し金六〇〇万円と、内金三〇〇万円に対する昭和五三年二月二五日から、内金三〇〇万円に対する昭和五三年六月七日から各完済まで年六分の割合による金員を支払え。

(三) 訴訟費用は一、二審とも被控訴人の負担とする。

(四) 以上の判決ならびに仮執行の宣言。

二、被控訴人

主文と同旨。

第二、当事者の主張・証拠関係

一、原判決の引用

当事者双方の主張・証拠関係は、左記のとおり付加するほか原判決の事実摘示と同じであるから、これをここに引用する。

二、控訴人の主張

(一)  被控訴人は、訴外中瀬尹に対し手形振出の権限を授与し、よってその実印および印鑑証明書を交付した。

(二)  仮に、右訴外中瀬が本件各手形(原判決引用の手形判決末尾記載の約束手形二通)の振出権限がないとしても、訴外株式会社川村組の代表取締役川村芳男は、前記のように訴外中瀬が被控訴人の実印等の所持により訴外中瀬に本件各手形振出の権限があると信ずべき正当な理由があり、したがって控訴人においても右中瀬に権限があると信ずべき正当な理由があったから、訴外中瀬の本件各手形振出行為は民法一一〇条の表見代理であり、被控訴人は本件各手形の振出責任を負担すべきである。

三、被控訴人の主張

(一)  被控訴人が右訴外中瀬に対し手形の振出の権限を授与し、被控訴人の実印および印鑑証明書を交付したことは認めるが、本件各手形振出の権限を授与したこと、訴外川村芳男が訴外中瀬が本件手形振出の権限があると信じたこと、およびこれを信じるについて同人に正当な理由が存在したことは、いずれも否認する。

(二)  すなわち、被控訴人は訴外中瀬に対し訴外株式会社一商からの借入金の弁済期の猶予を得る手段として、金額が少額で割賦弁済に利用される手形の一回限りの振出権限を授与したが、本件各手形の振出権限を授与したことはない。本件各手形の振出は訴外中瀬が偽造したものである。

(三)  控訴人は、本件各手形の正当な所持人ではなく、悪意の取得者である。

四、証拠関係〈省略〉

理由

一、当裁判所も原判決と同様、訴外中瀬尹は本件各手形振出の代理権がなく、被控訴人に無断で被控訴人名義の右各手形を振出し、よって右振出を偽造したものであるから、被控訴人に本件各手形振出の責任がないものと判断する。その理由は、左記のとおり付加するほか原判決の理由説示と同じであるから、これをここに引用する。当審証人中瀬尹の証言および当審における控訴人本人尋問の結果によるも、右認定を左右するに足りない。被控訴人は、仮に訴外中瀬尹に本件各手形振出の代理権がなかったとしても、訴外株式会社川村組代表取締役川村芳男において代理権があると信ずべき正当の理由があった旨主張するので判断する。およそ代理人が代理権の範囲を超え、いわゆる署名代理の方法により約束手形を振り出した場合において、その手形の受取人が右振出を本人みずから振り出した手形であると信じ、かつ、そのように信ずるについて正当の理由があったときは、本人は民法一一〇条の類推適用により振出人として手形上の責任を負い(最高裁判所昭和三九年九月一五日判決・民集一八巻七号一四三五頁参照)、その場合、手形が本人において受取人に信用を供与し受取人が他から割引を受けるなどによって金融の利益を得る目的のために融通手形として振り出され、受取人は手形の形式上の受取人になったにすぎず同人から手形を取得した手形所持人も、そのような手形として代理人の代理権を真正なものと信じて手形を取得したような場合においては、右所持人が代理人と実質上手形取引の直接の相手方の地位にあることになるから、同人につき民法一一〇条の適用を肯定すべきであって形式的な受取人につき正当な理由の有無を判断すべきでないと考える。(最高裁判所昭和四五年三月二六日判決・裁判集民事九八号四一頁参照)。

これを本件についてみると、当事者間に争いのない事実に前示引用の原判決挙示の証拠、とくに原・当審証人中瀬尹の証言(一部)、原・当審における控訴人本人尋問(原審は第一、二回いずれも一部)、原審における被控訴人本人尋問の結果(第一、二回)を総合すると、次の事実が認められる。

(一)  被控訴人は、割烹店経営を企てその所有の家屋を店舗に改装する工事のため、金融公庫および信用保証協会から合計六〇〇万円の融資をうけるつなぎとして、昭和五二年八月末ごろ訴外株式会社一商より金三〇〇万円を借入れたが、その弁済期に返済の資金繰りがつかず、いわゆる手形書替による弁済期の猶予を求めるため、知人である訴外中瀬尹に被控訴人の実印と印鑑証明書二通(一通は銀行提出用、他の一通は一商提出用)を預けた。

(二)  右中瀬は、被控訴人より被控訴人の右一商に対する債務について手形書替による弁済猶予をうけるため被控訴人の実印を預かったのを奇貨として、昭和五二年一〇月二一日ごろ右一商と弁済猶予の交渉をすることなく、かつ、権限なくして、手形でない手形用紙を使用してその振出人欄に被控訴人の住所氏名を記載し、かつ、その氏名の横に被控訴人の実印を使用して押印し、よって本件各手形(手形二通、いずれも金額・支払期日・受取人欄各白地)を作成した。

(三)  さらに右中瀬は、同日ごろ訴外株式会社川村組代表取締役川村芳男に対し、他より手形割引を受けて融資をしてほしい旨述べて右川村芳男に本件各手形(いずれも金額・支払期日・受取人欄各白地)を交付し、その際、被控訴人において真実右川村組と工事契約をする意思がないのに、被控訴人と右川村組との工事契約のための委任状(右中瀬が被控訴人名義で偽造したもの)と被控訴人の印鑑証明書も交付した。

(四)  右川村組代表取締役川村芳男は、右中瀬より前示のような本件各手形・委任状および印鑑証明書を受取った際、これと引換えに、本件各手形に関し「手形決済は借用人である当方にて期日前に責任をもって履行する」旨被控訴人あての念書を右中瀬に交付した。

(五)  本件各手形は、右川村組から訴外光信企業(通称)へ譲渡され、控訴人は昭和五二年一一月末ごろこれを訴外沢田耕次から取得した。

(六)  本件各手形の記載によれば形式的に、受取人は株式会社川村組であり、右川村組(裏書人)より控訴人を被裏書人として裏書されている。

(七)  右川村組は昭和五二年一一月二九日ごろ倒産し、右川村芳男は行方不明になった。

(八)  当時被控訴人は右川村組はもちろん右川村芳男あるいは控訴人にも面識がなかった。

右認定に反する原・当審証人中瀬尹の証言および原・当審における控訴人本人尋問(第一、二回)の結果は、前掲証拠と対比して信をおきがたく、他に右認定を左右するに足る的確な証拠がない。

以上の事実によれば、訴外中瀬尹は被控訴人より被控訴人の訴外一商に対する債務について右一商に対し手形書替による弁済の猶予を求めるための代理権を授与され、被控訴人より実印と印鑑証明書を預かったのを奇貨として、手形でない被控訴人振出名義の本件各手形を振り出して偽造したものであるが、手形上の形式的な受取人たる訴外川村組代表取締役川村芳男は、割引斡旋依頼ないし少なくとも融通手形として本件手形の交付を受けたものであって、実質上民法一一〇条所定の手形取引の直接の相手方には当らないので同人につき同条の正当理由をいう控訴人の主張はそれ自体失当であるのみならず、たとえ同人が実質上の直接の相手方にあたるとしても、同人は面識のない女性(個人)の振出名義の約束手形で、しかも手形の重要な要件である金額欄や支払期日等が白地である手形を他人から受取る場合には、その他人が真実振出の権限があるかどうかに疑問を懐きこれを振出名義人に確認する等の手段に出ることが予想されるところ、このような確認の手段を採ったことを認めるに足る証拠がなく、結局、表見代理人たる右中瀬に権限があると信すべき正当の理由があった事実については、本件の全証拠によるもこれを認めるに足りない。したがって、控訴人の右主張は失当であって採用できない。

なお、表見代理人中瀬と実質上直接の相手方の関係にある訴外光信企業が民法一一〇条の直接の相手方にあたり、右光信企業に正当理由がある事実については、その主張も立証もない。

三、そうすると、控訴人の被控訴人に対する本件約束手形金請求は、理由がなく、これを棄却する旨の本件手形判決を認可した原判決は相当であって、本件控訴は理由がないからこれを棄却し、控訴費用の負担について民訴法九五条、八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 村上博巳 裁判官 吉川義春 藤井一男)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例